Current Location: Home » Full Text Search
Your search : [ author:写真·文 李希光 林永健] Total 489 Search Results,Processed in 0.112 second(s)
-
1. ニヤ人の子孫の村
Author: 写真·文 林永健 李希光 Year 1994 Issue 10 PDF HTML
-
2. べールをぬいだニヤ遺跡
今から約二千年前、「精絶」という名で西域三十六国の一つにあげられ、一九〇一年イギリスの探検家オーレル·スタインの発見によって世界の脚光を浴びたニヤの遺跡に対し、昨年秋、五十八名の科学者、考古学者、報道班からなる中日合同調査隊が、史上最大規模の学術調査を行った。タクラマカン砂漠の深部に位置する廃墟とあって、一行の装備も実に大がかりだった。最新の衛星誘導機を始め、無電機、重油、発電機、ガスボンベ、飲料
Author: 写真·文 李希光 林永健 Year 1994 Issue 10 PDF HTML
-
3. 中日共同でニヤ遺跡調査
“ニヤ遺跡”―それは、著名な古代ローマのポンペイに匹敵する中国の古代文明遺跡。ここに再び時代の脚光を浴びて登場した。この遺跡は今、大量の出土品と高い評価により中国、日本をはじめ世界の考古学界に注目されている。この発掘作業は、昨年十月から中日合同調査団によって実施された。本文はその発掘現場からのレポート第一弾。ここが古代の精絶国か調査団の構成は、中日両国の考古学、測量学、人類学、砂漠生態学、古文字、
Author: 李希光 卓培栄 Year 1994 Issue 2 PDF HTML
-
4. 食文化の旅 秦淮河風味の小吃
南京市内を流れる秦淮河は、遠く秦の時代に開削された運河。江南の貴族文化が欄熟した六朝の時代(三世紀初め~六世紀終わり)から、その両岸に高殿や酒楼が軒を並べ、明清の時代(十四世紀半ば~二十世紀初め)になってさらに栄えた。いまも南京で指折りの繁華街として、正月や節句には三十万入からの入出で賑わう。中でも夫子廟地区は、食文化の中心ともいうべきところρ古い歴史を誇る料亭、茶荘、酒楼、小吃(一品料理)店など
Author: 写真·文狄華 Year 1992 Issue 1 PDF HTML
-
5. 揚州の三大料理
かつて日本の遣唐使が上陸した揚州。鑑真和上の生地であり、若き日の和上が修行した大明寺のある揚州長江に、揚子江という別名を与えるもとになった揚州。.「故人西のかた黄鶴楼を辞し、煙花三月揚州。に下る」という李白の詩心有名だ。揚州は遠く紀元前五世紀に呉王夫差が築いた町。唐代には江南随一の大都会として栄え、家々に鶴が飼われていたという。「腰に十万貫を纏い鶴に騎って揚州に下る」という詩には、大金を持った男が
Author: 写真·文秋華 Year 1992 Issue 3 PDF HTML
-
6. 北京で味わえる地方料理東坡肉(浙江料理)
浙江省の料理としてよく知られているのが、この東城肉です。すでに900年以一f”の歴史をもつ名物料理。宋代の大文豪、蘇東披に由来する料理でもあります。左遷させられて杭州の地方官となった蘇東士皮は、西湖にf.手を築いて農地にかんがいし、人々に幸福をもたらしました。ある日、豚肉と紹興酒を贈られた東城は、家人にこれを料理して労働者に届けるよう言いつけます。家人は肉と酒を一緒に料理するものだと思って作ったと
Author: 写真·文 狄華 Year 1992 Issue 6 PDF HTML
-
7. 武昌の魚料理
誰でもょく知っている武昌魚。毛沢東が「長沙の水を飲み、武昌の魚を食べる」と詩に詠んだところから名を馳せるようになった。誰もが一度は食べてみたいと思う魚だ。武昌魚の名は千七百年以上も前の古書にも載っている。昔も今も、多くの詩人墨客が詩に詠んでほめたたえている魚である。学名は妨魚(トガリヒラウォ)。湖北省武昌の梁子湖でとれる。この湖と長江の間に短い川があるが、毎年秋になると、湖の魚は湖水とともに長江に
Author: 写真·文 狄華 Year 1992 Issue 7 PDF HTML
-
8. 湖北の手づくり豆腐
中国人は豆腐料理が大好きだ。栄養価が高い上に値段も安いというのが、その最大の理由だが、残念なことに、このごろはすっかり機械生産となり、手づくりの、あるいはロバに大豆を挽かせて作った豆腐というものが、ほとんど姿を消してしまった。だが、ここ湖北省は省都武漢から数十キロ西北に行った孝感、雲夢、応城、漢川のあたりでは、豆腐はいまでも手づくりが普通。味にこくがあるのはもちろんのこと、工芸品と言ってよいほど凝
Author: 写真·文秋華 Year 1992 Issue 8 PDF HTML
-
9. 曲阜の孔府菜
最近私は、孔子のふるさと山東省曲阜を訪れ、孔府菜IIすなわち孔子の家に代々伝わってきた料理を賞味したばかりか、孔子第七十七代の孫娘である孔徳愁(こう·とくぼう)さんとそのこ子思の何達さんから、孔府菜の話をいろいろうかがつという幸運に恵まれた。孔府菜研究会の名誉主席であり、ご自身が美食家でもある孔さんのお話は、料理同様に含蓄に富んだものであった。「食(めし)は精(しらげー白い)なるを厭(いと)わず、
Author: 写真·文 狄華 Year 1992 Issue 9 PDF HTML
-
10. 玉門関と漢の長城
一酢年からほほ三年、万里の長城の現淋を訴査する肺に参加する機会に恵まれた。今号から七回に分けて、その報告をすることにしよう。九〇年九月、手始めに漢代の長城遺跡を求めて、一行八人は玉門関周辺の探査に向かった。敦煙からツァイダムに通じる公路上を西南に一時聞、車は舗装路を離れてゴビの大砂漠にはいった。この先は、砂漠の奥深くからソーダと硝石を運搬してくるトラクタ-のわだちの跡をたどって進むしかない。途中、
Author: 写真 文 宝玉 Year 1992 Issue 11 PDF HTML